10月6日、大阪市営地下鉄30系のさよなら特別運転が行われました。
▲一般営業列車として「さよなら30系 Last Run」最終日の運行に就く30系。八尾南駅にて(9月29日撮影)。
30系は、1968年(昭和43年)にデビュー。1970年(昭和45年)の万博に向け、輸送力を増強するため、御堂筋線に大量投入されました。その後、谷町線、四つ橋線、中央線などでも活躍。1984年(昭和59年)までに、363両が製造され、大阪市営地下鉄の一大勢力となりました。
30系は、1967年(昭和42年)に登場した試作車両7000・8000形をベースに設計。車体の長さは、従来の車両より1m長い18mとし、扉の数を片側3ヵ所から4ヵ所に増やしたことで、乗客増に対応しました。その後、7000・8000形は、30系に編入。また、北大阪急行の大阪市への譲渡を前提に製造され、万博輸送に活躍した7000・8000系も、のちに30系に編入されています。
▲最後まで残った後期製造のアルミ車の側面は、同時期に製造された10系によく似たスタイル。八尾南駅にて(9月29日撮影)。
30系の廃車が始まったのは、1991年。冷房化率100%を目指す中、冷房非搭載の30系は、構造、費用面から冷房改造を受けるのが困難とされ、鉄道車両としてはまだ若い、20年少々で退くことになりました。
しかし、後期製造グループの13編成は、1992年から1996年にかけて冷房改造を受け、谷町線や四つ橋線で活躍。その後、谷町線に集約されて走り続けていました。
▲冷房改造時に取り付けられた天井のローリーファン。冷房改造と同時に、車内は大幅にリニューアルされている。
30系には、アルミ車両とステンレス車両がありましたが、ステンレス車両は、今年3月に引退。アルミ車両2編成(1976年製造)を残すのみとなっていました。

▲30系は、大阪市営地下鉄最後の運転室が中央貫通型の車両だった。
●さよなら30系 Last Run
引退を前に、「さよなら30系 Last Run」と題し、8月25日から9月29日までの毎日曜日(計6日)、大日−八尾南間を各日3往復(通常ダイヤで10時6分から15時58分まで)、ヘッドマークを付けた30系が定時運行されました。
▲「さよなら30系 Last Run」最終日の運行で八尾南駅に停車中の30系。多くのファンが撮影や乗車に訪れた(9月29日撮影)。
▲特別運転2日前、大日検車場にて、30系(49編成)、30000系、22系(左から)と3世代の車両が並んだ瞬間(10月4日撮影)。
▲夕刻、30系(49編成)は、車庫の中程に移動し、イベントの準備のためか「臨時」の表示幕に・・。大日検車場にて(10月4日撮影)。
▲特別運転2日前、特別運転に充当されることになる30系(45編成)は、大日検車場の洗車場らしき所に停車していた(10月4日撮影)。
●さよなら30系 特別運転
特別運転は、10月6日(日)、一般募集された乗客を乗せ、谷町線 大日検車場(13時32分頃)から谷町四丁目(13時59分頃)を経由し、中央線 森ノ宮(14時16分頃)まで運行されました。
また、運行終了後、中央線 森ノ宮−大阪港間を往復する回送運転(森ノ宮[14時54分頃]→大阪港[15時10分頃〜15時14分頃]→森ノ宮[15時30分頃])が行われました。谷町線車両が中央線を走る上、地上区間に姿を見せることから、沿線各駅には多くのファンが集まりました。
▲特別運転後の"さよなら回送運転"で中央線を走る30系。朝潮橋にて(10月6日撮影)。
▲大阪港へ向かう30系。地上駅には特に多くのファンが訪れた。朝潮橋にて(10月6日撮影)。
▲谷町四丁目駅には、30系のフォトギャラリーが設けられていた(10月6日撮影)(
拡大 >>)。
posted by レールブログ at 23:06|
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